母を尋ねて三千里
アミーチス
日本童話研究会訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)家《うち》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)何百|哩《まいる》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ずつ」は底本では「ブフ」]
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      一
 もう何年か前、ジェノアの少年で十三になる男の子が、ジェノアからアメリカまでただ一人で母をたずねて行きました。
 母親は二年前にアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスへ行ったのですが、それは一家がいろいろな不幸にあって、すっかり貧乏になり、たくさんなお金を払わねばならなかったので母は今一度お金持の家に奉公してお金をもうけ一家が暮せるようにしたいがためでありました。
 このあわれな母親は十八歳になる子と十一歳になる子とをおいて出かけたのでした。
 船は無事で海の上を走りました。
 母親はブエーノスアイレスにつくとすぐに夫の兄弟にあたる人の世話でその土地の立派な人の家に働くことになりました。
 母親は月に八十リラずつ[#「ずつ」は底本では「ブフ」]もうけましたが自分は少しも使わないで、三月ごとにたまったお金を故郷へ送りました。
 父親も心の正しい人でしたから一生懸命に働いてよい評判をうけるようになりました。父親のただ一つのなぐさめは母親が早くかえってくるのをまつことでした。母親がいない家《うち》はまるでからっぽのようにさびしいものでした。ことに小さい方の子は母を慕って毎日泣いていました。
 月日は早くもたって一年はすぎました。母親の方からは、身体の工合が少しよくないというみじかい手紙がきたきり、何のたよりもなくなってしまいました。
 父親は大変心配して兄弟の所へ二度も手紙を出しましたが何の返事もありませんでした。
 そこでイタリイの領事館からたずねてもらいましたが、三月ほどたってから「新聞にも広告してずいぶんたずねましたが見あたりません。」といってきました。
 それから幾月かたちました。何のたよりもありません。父親と二人の子供は心配でなりませんでした。わけても小さい方の子は父親にだきついて「お母さんは、お母さんは、」といっていました。
 父親は自分がアメリカへいって妻をさがしてこようかと考えました。けれども父親は働かねばなりませんでした。一番年上の子も今ではだんだん働いて手助《てだすけ》をしてくれるので、一家にとっては、はなすわけにはゆきませんでした。
 親子は毎日悲しい言葉をくりかえしていると、ある晩、小さい子のマルコが、
「お父さん僕をアメリカへやって下さい。おかあさんをたずねてきますから。」
 と元気のよい声でいいました。
 父親は悲しそうに、頭をふって何の返事もしませんでした、父親は心の中で、「どうして小さい子供を一人で一月もかかるアメリカへやることが出来よう。大人でさえなかなか行けないのに。」と思ったからでした。
 けれどもマルコはどうしてもききませんでした。その日も、その次の日も、毎日毎日、父親にすがりついてたのみました。
「どうしてもやって下さい。外の人だって行ったじゃありませんか。一ぺんそこへゆきさえすれば[#「すれば」は底本では「すれぼ」]おじさんの家をさがします。もしも見つからなかったら領事館をたずねてゆきます。」
 こういって父親にせがみました。父親はマルコの勇気にすっかり動かされてしまいました。
 父親はこのことを自分の知っているある汽船の船長に話しすると船長はすっかり感心してアルゼンチンの国へ行く三等切符を一枚ただくれました。
 そこでいよいよマルコは父親も承知してくれたので旅立つことになりました。父と兄とはふくろにマルコの着物を入れ、マルコのポケットにいくらかのお金を入れ、おじさんの所書《ところがき》をもわたしました。マルコは四月の晴れた晩、船にのりました。
 父親は涙を流してマルコにいいました。
「マルコ、孝行の旅だから神様はきっと守って下さるでしょう。勇気を出して行きな、どんな辛いことがあっても。」
 マルコは船の甲板に立って帽子をふりながら叫びました。
「お父さん、行ってきますよ。きっと、きっと、……」
 青い美しい月の光りが海の上にひろがっていました。
 船は美しい故郷の町をはなれました、大きな船の上にはたくさんな人たちが乗りあっていましたがだれ一人として知る人もなく、自分一人小さなふくろの前にうずくまっていました。
 マルコの心の中にはいろいろな悲しい考えが浮んできました。そして一番悲しく浮んできたのは――おかあさんが死んでしまったという考えでした。マルコは夜もねむることが出来ませんでした。
 でも、ジブラルタルの海峡がすぎた後で、はじめて大西洋を見た時には元気も出てきました。望《のぞみ》も出てきました。けれどもそれはしばらくの間でした、自分が一人ぼっちで見知らぬ国へゆくと思うと急に心が苦しくなってきました。
 船は白い波がしらをけって進んでゆきました。時々甲板の上へ美しい飛魚がはね上ることもありました。日が波のあちらへおちてゆくと海の面は火のように真赤になりました。
 マルコはもはや力も抜けてしまって板の間に身体をのばして死んでいるもののように見えました。大ぜいの人たちも、たいくつそうにぼんやりとしていました。
 海と空、空と海、昨日も今日も船は進んでゆきました。
 こうして二十七日間つづきました。しかししまいには凉《すず》しいいい日がつづきました。マルコは一人のおじいさんと仲よしになりました。それはロムバルディの人で、ロサーリオの町の近くに農夫をしている息子をたずねてアメリカへゆく人でした。
 マルコはこのおじいさんにすっかり自分の身の上を話しますと、おじいさんは大変同情して、
「大丈夫だよ。もうじきにおかあさんにあわれますよ。」
 といいました。
 マルコはこれをきいてたいそう心を丈夫にしました。
 そしてマルコは首にかけていた十字のメダルにキスしながら「どうかおかあさんにあわせて下さい。」と祈りました。
 出発してから二十七日目、それは美しい五月の朝、汽船はアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスの都の岸にひろがっている大きなプラータ河に錨を下ろしました。マルコは気ちがいのようによろこびました。
「かあさんはもうわずかな所にいる。もうしばらくのうちにあえるのだ。ああ自分はアメリカへ来たのだ。」
 マルコは小さいふくろを手に持ってボートから波止場に上陸して勇ましく都の方に向って歩きだしました。
 一番はじめの街の入口にはいると、マルコは一人の男に、ロスアルテス街へ行くにはどう行けばよいか教えて下さいとたずねました、ちょうどその人はイタリイ人でありましたから、今自分が出てきた街を指《ゆびさ》しながらていねいに教えてくれました。
 マルコはお礼をいって教えてもらった道を急ぎました。
 それはせまい真すぐな街でした。道の両側にはひくい白い家がたちならんでいて、街にはたくさんな人や、馬車や、荷車がひっきりなしに通っていました。そしてそこにもここにも色々な色をした大きな旗がひるがえっていて、それには大きな字で汽船の出る広告が書いてありました。
 マルコは新しい街にくるたび[#「たび」は底本では「旅」]に、それが自分のさがしている街ではないのかと思いました、また女の人にあうたびにもしや自分の母親でないかしらと思いました。
 マルコは一生懸命に歩きました。と、ある十文字になっている街へ出ました。マルコはそのかどをまがってみると、それが自分のたずねているロスアルテス街でありました。おじさんの店は一七五番でした。マルコは夢中になってかけ出しました。そして小さな組糸店にはいりました。これが一七五でした。見ると店には髪の毛の白い眼鏡をかけた女の人がいました。
「何か用でもあるの?」
 女はスペイン語でたずねました。
「あの、これはフランセスコメレリの店ではありませんか。」
「メレリさんはずっと前に死にましたよ。」
 と女の人は答えました。
 マルコは胸をうたれたような気がしました、そして彼は早口にこういいました。
「メレリが僕のおかあさんを知っていたんです。おかあさんはメキネズさんの所へ奉公していたんです。わたしはおかあさんをたずねてアメリカへ来たのです。わたしはおかあさんを見つけねばなりません。」
「可愛そうにねえ!」
 と女の人はいいました。そして「わたしは知らないが裏の子供にきいて上げよう。あの子がメレリさんの使《つかい》をしたことがあるかもしれないから――、」
 女の人は店を出ていってその少年を呼びました。少年はすぐにきました。そして「メレリさんはメキネズさんの所へゆかれた。時々わたしも行きましたよ。ロスアルテス街のはしの方です。」
 と答えてくれました。
「ああ、ありがとう、奥さん」
 マルコは叫びました。
「番地を教えて下さいませんか。君、僕と一しょに来てくれない?」
 マルコは熱心にいいましたので少年は、
「では行こう」
 といってすぐに出かけました。
 二人はだまったまま長い街を走るように歩きました。
 街のはしまでゆくと小さい白い家の入口につきました。そこには美しい門がたっていました。門の中には草花の鉢がたくさん見えました。
 マルコはいそいでベルをおしました。すると若い女の人が出てきました。
「メキネズさんはここにいますねえ?」
 少年は心配そうにききました。
「メキネズさんはコルドバへ行きましたよ。」
 マルコは胸がドキドキしました。
「コルドバ? コルドバってどこです、そして奉公していた女はどうなりましたか。わたしのおかあさんです。おかあさんをつれて行きましたか。」
 マルコはふるえるような声でききました。
 若い女の人はマルコを見ながらいいました。
「わたしは知りませんわ、もしかするとわたしの父が知っているかもしれません、しばらく待っていらっしゃい。」
 しばらくするとその父はかえってきました。背の高いひげの白い紳士でした。
 紳士はマルコに
「お前のおかあさんはジェノア人[#「ジェノア人」は底本では「ジェノマ人」]でしょう。」
 と問いました。
 マルコはそうですと答えました。
「それならそのメキネズさんのところにいた女の人はコルドバという都へゆきましたよ。」
 マルコは深いため息をつきました。そして
「それでは私はコルドバへゆきます。」
「かわいそうに。コルドバはここから何百|哩《まいる》もある。」
 紳士はこういいました。
 マルコは死んだように、門によりかかりました。
 紳士はマルコの様子を見て、かわいそうに思いしきりに何か考えていました。が、やがて机に向って、一通の手紙を書いてマルコにわたしながらいいました。
「それではこの手紙をポカへ持っておいで、ここからポカへは二時間ぐらいでゆかれる。そこへいってこの手紙の宛名になっている紳士をたずねなさい。たれでも知っている紳士ですから、その人が明日お前をロサーリオの町へ送ってくれるでしょう、そこからまたたれかにたのんでコルドバへゆけるようしてくれるだろうから。コルドバへゆけばメキネズの家もお前のおかあさんも見つかるだろうから、それからこれをおもち。」
 こういって紳士はいくらかのお金をマルコにあたえました。
 マルコはただ「ありがとう、ありがとう」といって小さいふくろを持って外へ出ました。そして案内してくれた少年とも別れてポカの方へ向って出かけました。
      二
 マルコはすっかりつかれてしまいました。息が苦しくなってきました。そしてその次の日の暮れ方、果物をつんだ大きな船にのり込みました。
 船は三日四晩走りつづけました。ある時は長い島をぬうてゆくこともありました。その島にはオレンヂの木がしげっていました。
 マルコは船の中で一日に二度ずつ少しのパンと塩かけの肉を食べました。船頭たちはマルコのかなしそうな様子を見て言葉もかけませんでした。
 夜になるとマルコは甲板で眠りました。青白い月の光りが広々とした
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