水の上や遠い岸を銀色に照しました、マルコの心はしんとおちついてきました。そして「コルドバ」の名を呼んでいるとまるで昔ばなしにきいた不思議な都のような気がしてなりませんでした。
 船頭は甲板に立ってうたをうたいました、そのうたはちょうどマルコが小さい時おかあさんからきいた子守唄のようでした。
 マルコは急になつかしくなってとうとう泣き出してしまいました。
 船頭は歌をやめるとマルコの方へかけよってきて、
「おいどうしたので、しっかりしなよ。ジェノアの子が国から遠く来たからって泣くことがあるものか。ジェノアの児は世界にほこる子だぞ。」
 といいました。マルコはジェノアたましいの声をきくと急に元気づきました。
「ああそうだ、わたしはジェノアの児だ。」
 マルコは心の中で叫びました。
 船は夜のあけ方に、パラアナ河にのぞんでいるロサーリオの都の前にきました。
 マルコは船をすててふくろを手にもってポカの紳士が書いてくれた手紙をもってアルゼンチンの紳士をたずねに町の方をゆきました。
 町にはたくさんな人や、馬や、車がたくさん通っていました。
 マルコは一時間あまりもたずね歩くと、やっとその家を見つけました。
 マルコはベルをならすと家から髪の毛の赤い意地の悪そうな男が出てきて
「何の用か、」
 とぶっきらぼうにいいました。
 マルコは書いてもらった手紙を出しました。その男はその手紙を読んで
「主人は昨日の午後ブエーノスアイレスへ御家の人たちをつれて出かけられた。」
 といいました。
 マルコはどういってよいかわかりませんでした。ただそこに棒のように立っていました。そして
「わたしはここでだれも知りません。」
 とあわれそうな声でいいました。するとその男は、
「物もらいをするならイタリイでやれ、」
 といってぴしゃりと戸をしめてしまいました。
 マルコはふくろをとりあげてしょんぼりと出かけました。マルコは胸をかきむしられたような気がしました。そして
「わたしはどこへ行ったらよいのだろう。もうお金もなくなった。」
 マルコはもう歩く元気もなくなって、ふくろを道におろしてそこにうつむいていました、道を通りがかりの子供たちは立ち止ってマルコを見ていました。マルコはじっとしておりました。するとやがて「おいどうしたんだい。」とロムバルディの言葉でいった人がありました。マルコはひょっと顔を上げてみると、それは船の中で一しょになった年よったロムバルディのお百姓でありました。
 マルコはおどろいて、
「まあ、おじいさん!」
 と叫びました。
 お百姓もおどろいてマルコのそばへかけて来ました。マルコは自分の今までの有様を残らず話しました。
 お百姓は大変可愛そうに思って、何かしきりに考えていましたが、やがて、
「マルコ、わたしと一緒にお出でどうにかなるでしょう。」
 といって歩き出しました。マルコは後について歩きました。二人は長い道を歩きました、やがてお百姓は一軒の宿屋の戸口に立ち止りました。看板には「イタリイの星」と書いてありました。
 二人は大きな部屋へはいりました。そこには大勢の人がお酒をのみながら高い声で笑いながら話しあっていました。
 お百姓はマルコを自分の前に立たせ皆にむかいながらこう叫びました。
「皆さん、しばらくわたしの話を聞いて下さい、ここにかわいそうな子供がいます。この子はイタリイの子供です。ジェノアからブエーノスアイレスまで母親をたずねて一人で来た子です。ところがこんどはコルドバへ行くのですがお金を一銭も持っていないのです。何とかいい考えが皆さんにありませんか。」
 これをきいた五六人のものは立ち上って、
「とんでもないことだ。そんなことが出来るものか」
 といいました。するとその中の一人は、テエブルをたたいて、
「おい、我々の兄弟だ。われわれの兄弟のために助けてやらねばならぬぞ。全く孝行者だ。一人できたのか。ほんとに偉いぞ。愛国者だ、さあこちらへ来な、葡萄酒《ぶどうしゅ》でものんだがよい。わしたちが母親のところへとどけてあげるから心配しないがよい。」
 こういってその男はマルコの肩をたたきふくろを下してやりました。
 マルコのうわさが宿屋中にひろがると大勢の人たちが急いで出てきました、ロムバルディのおじいさんはマルコのために帽子を持ってまわるとたちまち四十二リラのお金があつまりました[#「あつまりました」は底本では「あつりまりました」]。
 みんなの者はコップに葡萄酒をついで、
「お前のおかあさんの無事を祈る。」といってのみました。
 マルコはうれしくてどうしてよいかわからずただ「ありがとう。」といって、おじいさんのくびに飛びつきました。
 つぎの朝マルコはよろこび勇んでコルドバへ向って出かけました。マルコの顔はよろこびにかがやきました。
 マルコは汽車にのりました。汽車は広々とした野原を走ってゆきました。つめたい風が汽車の窓からひゅっとはいってきました。マルコがジェノアを出た時は四月の末でしたがもう冬になっているのでした。けれどもマルコは夏の服を着ていました。マルコは寒くてなりませんでした。そればかりでなく身体も心もつかれてしまって夜もなかなか眠ることも出来ませんでした。マルコはもしかすると病気にでもなって倒れるのではないかと思いました。おかあさんにあうことも出来ないで死んだとしたら……マルコは急にかなしい心になりました。
 コルドバへゆけばきっとお母さんにあえるかしら、ほんとうにおかあさんにあうことがたしかに出来るかしら。もしもロスアルテス街の紳士が間違ったことをいったのだとしたらどうしよう。マルコはこう思っているうちに眠ってゆきました。そしてコルドバへ行っている夢を見ました、それは一人のあやしい男が出てきて、「お前のおかあさんはここにいない。」といっている夢でした。マルコははっとしてとびおきると自分の向うのはしに三人の男が恐しい眼つきで何か話していました。マルコは思わずそこへかけよって、
「わたしは何も持っていません。イタリイから来たのです。おかあさんをたずねに一人できたのです。貧乏な子供です。どうぞ、何もしないで下さい。」
といいました。
 三人の男は彼をかわいそうに思ってマルコの頭をなでながらいろいろ言葉をかけ一枚のシオルをマルコの体にまいて、眠られるようにしてくれました。その時はもう広い野には夕日がおちていました。
 汽車がコルドバにつくと三人の男はマルコをおこしました。
 マルコは飛びたつように汽車から飛び出しました。彼は停車場の人にメキネズの家はどこにあるかききました。その人はある教会の名をいいました。家はそのそばにあるのでした。マルコは急いで出かけました。
 町はもう夜でした。
 マルコはやっと教会を見つけ出して、ふるえる手でベルをならしました。すると年取った女の人が手にあかりを持って出てきました。
「何か用がありますか」
「メキネズさんはいますか。」
 マルコは早口にいいました。
 女の人は両手をくんで頭をふりながら答えました。
「メキネズさんはツークーマンへゆかれた。」
 マルコはがっかりしてしまいました、そしてふるえるような声で、
「そこはどこです。どのくらいはなれているのです。おかあさんにあわないで、死んでしまいそうだ。」
「まあ可愛そうに、ここから四五百|哩《まいる》はなれていますよ。」
 女の人は気の毒そうにいいました。
 マルコは顔に手をおしあてて、「わたしはどうしたらいいのだろう、」
 といって泣き出しました。
 女の人はしばらくだまって考えていましたが、やがて思い出したように、
「ああ、そうそう、よいことがある、この町を右の方へゆくと、たくさんの荷車を牛にひかせて明日ツークーマンへ出かけてゆく商人がいますよ。その人に頼んでつれていってもらいなさい。何か手つだいでもすることにして、それが一番よい今すぐに行ってごらんなさい。」
 といいました。
 マルコはお礼をいいながら[#「いいながら」は底本では「いいならが」]ふくろをかつぎ急いで出かけました。しばらくゆくとそこには大ぜいの男が荷車に穀物のふくろをつんでいました。丈《せい》の高い口ひげのある男が長靴をはいて仕事の指図をしていました。その人がこの親方でした。
 マルコはおそるおそるその人のそばへ行って「自分もどうかつれていって下さい。おかあさんをさがしにゆくのだから。」
 とたのみました。
 親方はマルコの様子をじろじろと見ながら
「お前をのせてゆく場所がない。」
 とつめたく答えました。
 マルコは一生懸命になって、たのみました。
「ここに十五リラあります。これをさしあげます。そして途中で働きます。牛や馬の飲水もはこびます。どんな御用でもいたします。どうぞつれて行って下さい。」
 親方はまたじろじろとマルコを見てから、今度はいくらかやさしい声でいいました。
「おれたちはツークーマンへゆくのではない、サンチヤゴという別の町へゆくのだよ。だからお前をのせていっても途中で下りねばならないし、それに下りてからお前はずいぶん歩かなければならぬぞ。」[#「」」は底本では欠落]
「ええ、どんな長い旅でもいたします。どんなことをしましてもツークーマンへまいりますからどうかのせていって下さい。」
 マルコはこういってたのみました。
 親方はまた、
「おい二十日もかかるぞ。つらい旅だぞ。それに一人で歩かねばならないのだぞ。」
 といいました。
 マルコは元気そうな声でいいました。
「はいどんな事でもこらえます、おかあさんにさえあえるなら。どうぞのせていって下さい」
 親方はとうとうマルコの熱心に動かされてしまいました。そして「よし」といってマルコの手を握りしめました。
「お前は今夜荷車の中でねるのだよ。そして明日の朝、四時におこすぞ。」
 親方はこういって家の中へはいってゆきました。
 朝の四時になりました。星はつめたそうに光っていました。荷車の長い列はがたがたと動き出しました。荷車はみな六頭の牛にひかれてゆきました。そのあとからはたくさんな馬もついてゆきました。
 マルコは車に積んだ袋の上にのりました。がすぐに眠ってしまいました。マルコが目をさますと、荷車の列はとまってしまって、人足《にんそく》たちは火をたきながらパンをやいて食べているのでした。みんなは食事がすむとしばらくひるねをしてそれからまた出かけました。みんなは毎朝五時に出て九時にとまり、夕方の五時に出て十時にとまりました。ちょうど兵隊が行軍するのと同じように規則正しくやりました。
 マルコはパンをやく火をこしらえたり牛や馬にのませる水をくんできたり角灯の掃除をしたりしました。
 みんなの進む所は、どちらを見ても広い平野がつづいていて人家もなければ人影も見えませんでした。たまたま二三人の旅人が馬にのってくるのにあうこともありましたが、風のように一散にかけてゆきました。くる日もくる日もただ広い野原しか見えないのでみんなは、たいくつでたいくつでたまりませんでした。人足たちはだんだん意地悪くなって、マルコをおどかしたり無理使《むりづかい》したりしました。大きな秣《まぐさ》をはこばせたり、遠い所へ水をくみにやらせたりしました。そして少しでもおそいと大きな声で叱りつけました。
 マルコはへとへとにつかれて、夜になっても眠ることが出来ませんでした、荷車はぎいぎいとゆれ、体はころがるようになり、おまけに風が吹いてくると赤い土ほこりがたってきて息をすることさえ出来ませんでした。
 マルコは全くつかれはててしまいました。それに朝から晩まで叱られたりいじめられたりするので日に日に元気もなくなってゆきました。ただマルコをかわいがってくれるものは親方だけでした。マルコは車のすみに小さくうずくまってふくろに顔をあてて泣いていました。
 ある朝、マルコが水を汲んでくるのがおそいといって人足の一人が、彼をぶちました。それからというものは人足たちは代る代る彼を足でけりながら、「この宿なし犬め」といいました。
 マルコは悲し
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