でした。河合が、
「芝居でしてさへ囚人の役は骨が折れますもの、あなた樣もこれからさぞ御苦勞遊ばすことで御座いませうねえ」
など言うて、慰めてくれるのにつり込まれて、ほつと異性の温みに接する心地がするのでした。彼は樂屋に於ても、その動作から言葉使ひまで全然女性のやうでありました。
こんな呑氣な生活をしてゐる間に、山口孤劍君の『父母を蹴れ』といふ文章が朝憲紊亂罪に問はれ發行禁止の宣告を受けるに至りました。それは四月十三日のことであつたが、平民新聞は裁判の確定を待たずに、翌十四日を以て自ら廢刊するに至りました。社の内外ともに餘りに突然の決定で驚いたらしいが、無理をせずに玉碎主義を採つた譯でありました。幸徳と堺とは、既に幾度か平民社の維持方法に就いて相談もしたのであるが、前掲の堺の『平民社より』に『月末になつた、ノンキな事ばかり云つてをれない』とあるやうに五、六十人の世帶を維持するのは容易ではなかつたのです。資金補給を申し出た向もあつたのですが、ほんたうに主義のために出資してくれるのでなければ、後の煩ひになるので謝絶したのであります。そして政府が發行を禁止したので、其機をとらへて廢刊を斷行
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