堺氏の意氣を追想して私は『ははーなるほど』と感じたことでした。
 幸徳、堺兩氏と内村鑑三氏とは二つの退社の辭を萬朝報第一面に掲載してこの思ひ出多かるべき新聞と別れました。それが日本の進歩的知識階級に非常な衝撃を與へたことは言ふまでもありません。それは三十六年十月十二日のことでありました。やがて十一月十五日には、堺、幸徳兩氏協力の週刊『平民新聞』が創刊されました。それがまた非常なセンセーションを日本の青年社會に興起せしめ創刊號は再版まで發行するに至りました。剛腹そのもののやうな黒岩氏も何とかして退社の人々と和解の道はないものかと考へてゐたらしく、私にもそれとなく意中を漏らしたこともありましたが『平民新聞』創刊のことを聞いて、初めて斷念したやうに見えました。私は『平民』紙創刊の議が一決すると同時にこれに入社を許され、同十一月二十九日の同紙三號に入社の辭が掲げられました。

     基督教の影響

「クリスチャンが無政府主義者で非戰運動をするなんて、をかしくはありませんか?」
 ヨーロッパの一般クリスチャンを標準にするマダムはいささか不滿と興奮とを以て私に問ひつめるのであつた。ルクリュ翁は
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