びつしよりになつてゐました。
この演説會が終つて、奧の室で黒岩社長以下牛肉のスキ燒の御馳走を食べてゐると、さきの會場には新たに多くの青年が車座になつて首を集めてゐました。それは漸く流行し始めた百人一首のカルタ會でありました。黒岩社長は、いたくその光景にうたれ、『これは面白い』の嘆聲を連發するのでありました。萬朝報がカルタ會の肝煎になつたのは、これから始まつたことであります。
社の仕事に少し慣れた頃でした。私は社長の家に屡※[#二の字点、1−2−22]招かれました。それは黒岩社長が當時執筆中であつた『天人論』の原稿を整理淨寫する仕事の御手傳をするなどのためでありました。しかし社長は私には筆耕をさせずに何時も議論を吹つかけるのです。デカルトの『われ思ふ故にわれあり』から、カントの『實踐理性』論から、『至上命令』論に及び、議論はなかなか盡きませんでした。わたしはしばしば夜中の十二時を聞いてから車で送られて歸宿するのでありました。そんな時は、いつも角筈の福田氏の家に行くことを常としました。素人下宿の家に夜更けて歸ると厭な顏をされるので、つひさうなつたのであります。
當時の青年は、多く哲學
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