ました。生活費は今までの下宿屋の半分で足りるので、學校を卒業するまでの視透しも出來るやうになりました。
その家は飯田町の中阪に近いところでありました。老母と二人娘と末の男の子と四人の家庭でありました。その家の次女は高等師範の生徒なので日曜日毎に家に歸るだけでありました。從つて平生は近所の小學校教師の長女と、中學生の息子と、その母親との三人暮しでありました。父親はどういふ事情か二ヶ月に一度ぐらゐしか姿を見せませんでした。横濱に住んでゐたやうでした。この家に移つてからは、粕谷義三氏から毎月十圓づつ送つてくれるやうになり、不足は親戚や友人から補充されることになつたので、私は安心して勉強し得るやうになりました。
ある時法學院に全校學生の討論會が催されました。この學校へは餘り顏を出さない私ではあるが、いささか討論に興味をそそられてそれに參加しました。勿論優勝など豫期した譯ではなかつたが、原嘉道、馬場愿治兩氏の審判で、不思議にも二等賞が授けられました。大いばりで歸宅して、宿の老母にそれを見せると、お婆さんは、わがことのやうに喜んでくれました。その當時南洋から歸つた佐藤虎次郎氏や粕谷義三氏の手紙
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