添つてゐました。私が室に入ると茂木氏は寢臺から起きあがり、家は無事ぢやつたか己れはこんなにやられた、と、ずたずたに引裂かれたフロックや切られた時計の金鎖などを示すのでありました。私は社會主義のことなどは能くわからないが、かうした鬪爭には頗る引きつけられ、茂木(佐藤)氏はこの世の一番偉大な英雄であるやうに感じました。
 ところが、かうして自由新聞はめちやくちやになり、茂木氏は中島信行夫人(有名な湘烟女史)の媒介で紀州の素封家佐藤長右衞門氏の女婿となり、橋本氏は同郷の粕谷家に入婿となりました。一家離散と決定して淋しき未來が待ちまうける如く見えた私は、同じ米國歸りの福田友作氏に引き渡されることになりました。福田氏は中村敬宇先生の同人社に教鞭を執ると同時に、社會運動などにも關係してゐました。福田氏の住居は新婚の家庭であつた筈ですが、新夫人は留守がちで私と他の一青年とはいつも同人社の食堂で食事をすませました。それから間もなく同人社社長中村敬宇先生は死去し、同人社は閉鎖され、福田氏はその家をもたたむことになり、私は母の許に歸りました。
 丁度その時、勃發したのが埼玉硫酸事件といふ地方の政爭で、私の
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