一物の翁なればこそ、無一物のわれわれに同情が持てるのです。わたしは何時もながら眞心から翁に感激しました。
翁は元日から若いものどもにかしづかれながら、屠蘇に醉うて大元氣でした。唐紙がせん紙を翁の前に並べると、翁は一ぱいきげんで盛んに書きなぐりました。
「大雨にうたれたたかれ重荷ひくうしの轍のあとかたもなし」
「天地大野蠻」
「壯士髮冠をつく日の出酒」
「若いもの見てはうれしき今朝の春」
「餘り醉ふことはなりません屠蘇の春」
といふやうな文句は今でも記憶してゐます。翁は大はしやぎにはしやいで三日に東京の方に行きました。家の無い翁の後姿はいかにも淋しさうに見えました。
翁が去つて二、三日たつと前述の發賣禁止事件でわたしは横濱の警察に引致されました。それを聞いた支那の革命少女T君はベネジクティンの大壜を携へて來訪されました。T君は民國の第一革命を横取りした袁世凱の暗殺を企てて失敗し、危く捕へられようとした時ベルギーの領事G君に救はれ、G君に伴はれて日本に來た人です。G君はかねて二、三度わたしの家に來訪したことがあり、このG君から私のことを知つたのです。(この人のことは『爆彈の少女』[#
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