君が暫く社會運動から遠ざかるなら洋行もできるし、歸國の上は立派な就職もできるが、考へて見ないか」
と言ひました。それは當時の文部大臣小松原英太郎の前で粕谷義三、花井卓藏兩氏立會の上で一言ちかへば、文相自ら喜んで引受けてくれるといふのでした。佐藤氏は親切心で言つてくれたのであらうが、わたしは甚だ不滿でした。
「わたしに初めて社會主義の話をしてくれたのは、あなたではありませんか、そのあなたから、その樣な勸告を受けるのは心外です」
と斷りました。佐藤氏はあきれたらしく、わたしもそれ以來、助勢を乞ふことができなくなりました。
脱出、放浪の旅へ
明治四十四年夏、わたしは呼吸器の病氣を癒すために横濱の根岸海岸に一小屋を借り、同志大和田忠太郎君のところで食事の世話になり、毎日海に入り、河童のやうな生活を續けながら、飜譯などしてゐました。『哲人カアペンター』を公けにしたのもこの時でありました。この書はわたしにとつて眞の處女作と言つてもよろしいもので、自分では可なり心力を注入したつもりであつたが、賣れませんでした。しかし、カ翁をシェフィールドのかたゐなかに訪問した記事が萬朝報にでると
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