地は吾等に生活を与へるばかりで無く、吾等の心を美に育む。一九一七年四月廿六日の日記に、私は次の如く書いて居る。
「マルゲリトの小さな花が一面に咲いて居る。清らかな、純白な、野菊に似た無数のマルゲリトは、柔かい青芝生の広庭一面に、浮織の様に咲き揃ふて居る。私は今、其自然の美しい生きた毛氈の上に身を横へて暫し息ふて居る」。
「稚い緑りの草の葉は、時々微風に戦《そよ》いで幽《かす》かに私語《ささや》くことさへあるが、マルゲリトは何時も静かに深い沈黙に耽つて居る。其小さな清らかな、謙遜な面を揚げて、高い大空と何かしら、無語の密話を交はして居る。空には一点の雲も無い。色彩を好む我々には頼りない程澄み渡つて居る。彼の際涯無き大空に対して、アの細やかなマルゲリトは抑も何事を語るであろう」。
「マルゲリトの沈黙の深いこと! 彼女の面は太陽の光を受けて輝やいて居る。無数の姉妹が一斉に輝やいて居る。天の星が太陽の光に蔽はれて居る間、彼等は地の星の如く光り輝いて居る。大空の深きが如く、彼等の沈黙の深いこと! 其美しい沈黙! 其美しい輝やき! マルゲリトは地の子である。謙遜なる地の子である」。
七
コウした自然の中に、井を掘りて飲み、地を耕やして食う。人間の生活は其れにて充分である。其れが人生の総てである。人間は地と共に生きるの外に、何事をも為し得ぬものである。地の与ふる美の外に、人間は些かの創作をも成し得ぬものである。吾等は地に依りてのみ天を知り、地によりてのみ智慧を得る。地独り吾等の教育者である。地独り真の芸術家である。地を耕すは、即ち地の教育を受くるに外ならぬ。地の養育を受くるに外ならぬ。而して地を耕すは、又、地の芸術に参与することである。然り地を耕すは、即ち吾等自身を耕す所以である。
八
社会の進歩、とは、社会と其個人とが、地の恩沢を正しく充分に享受すると言ふことで無くてはならぬ。希臘《ギリシヤ》は地の利を得て勃興した。而して希臘人が其地利を乱用して却て地を離れ地を忘れたる時、頽廃に帰した。強大なる羅馬《ローマ》帝国も、土臭を厭へる貴族や富豪の重量の為に倒潰したのである。ヨリ多くの地をヨリ善く耕すことは吾等の名誉、吾等の幸福である。其れと同時に、自ら耕さざる地面を領有するのは、不名誉にして罪悪である。領土の大を誇る虚栄心は、即ち
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