し、又、太陽系其ものの運行と共に運行する。吾等の智慧は此地を耕やして得たるもので無くてはならぬ。吾等の幸福は此地を耕やすにあらねばならぬ。吾等の生活は地より出で、地を耕し、地に還へる、是のみである。之を土民生活と言ふ。真の意味のデモクラシイである。地は吾等自身である。

         五

 地を離れて吾等如何にか活きん? 地を離れて吾等何処にか食を求めん? 地は吾等に与ふべき総てを産む。私が仏国ドルドオニ県に土民生活を営んで居た時、私は一九一七年五月五日の日記に次の如く書いた。
「芽が生へた。昨夕まで地の面に一点の緑も見へなかつたのに、今朝は翠《あを》い芽が一面に地からハジけ出て居る。右はアリコ(インゲン)左はポア(豌豆)何といふ勢ひであろう! 意気天を突くといふは、ホンとに今の彼等のことである」。
「芽が俄かに生へた。人が眠つて居る間に、地面を突破して現はれた。アの新鮮な大気を呼吸する前に! 種子は私が蒔いたのだ。インゲンには肥料をウンと置いてヤツた。二週間前に蒔いたのが今日生へたのだ。蒔いた私は芽の生へるのが待遠しかつた。アの元気ある萌芽を見ると今更ら希望に充される」。
「昨日は馬鹿に暑かつた。木も草も芽も種も枯れ果てるであろうと気づかはれた。種子は地下にあつて定めしもがい[#「もがい」に傍点]たであろう。ケレども熱い日の夜には露が降りる。ソウだ、昨夜の露、アの無声の露が、地を潤ほして、軟かにしてくれたので、稚《わか》い芽は自らを延ばし得たのだ」。
「昨日の日光の熱さは、実にタイラントの暴政の如く吾々を苦めた。柔かい種子も地下でモガイたに相違無い。然しアのタイラントは却つて若い種に活動の元気を与へた。夜露の降りたのも、実はアのタイラントの御蔭である。昨日はアのタイラントの烈暑の為に枯れ果てるであろうと思はれた種が、今朝は鬱勃たる希望に充ちて萌え出て居る。ミラクルの様だ。併し是れが自然だ」。
「種が無ければ芽は生へぬ、蒔いた種は時を得て生へる。花を愛し実を希ふものは、先づ種を蒔かねばならぬ。恐るべきタイラントも却て地層突破の動機たることを思へば、不幸の間にも希望がある。恐怖の間にも度胸が坐る。種を蒔く者は幸いだ」。
 然り、種を蒔く者は幸福である。地は吾等に生活を与ふべく、吾等に労作を要求する。地は吾等自身であることを忘れてはならぬ。

         六
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