行ふ。今の世の総ての人は、悉く異郷の旅人である。我が本来の地、我が本来の生活、我が本来の職業、といふ如き思想は、之を今の世の人に求めても得られない。彼等の生活は悉く是れ異郷の旅に外ならぬ。総ての職務と地位とは腰掛けである。今の世の生活は不安の海に漂よふ放浪生活に外ならぬ。放浪生活に事務の挙る訳が無い。教師も牧師も官吏も商人も百姓も大臣も、我が故郷を認め得ずして生涯旅の恥をかき棄てゝ居る。旅の恥をかゝんが為に競ひ争ふて居る。疲れ果てゝ地に倒れたる時、我蔭の消ゆると共に人は幻滅の悲哀に打たるゝであらう。国家、社会が、幻滅の危機に遭遇したる時、乃ち○○○○○○〔大変革が来る〕のである。

         三

 国民共同生活の安全と独立と自由とを維持する為に軍隊は造られたものである。其れが、隣国の同胞の共同生活の安全と独立と自由とを破壊する為に用ゐられる。個人と個人との間の、地方と地方との間の、国民と国民との間の、物資の有無を融通し、需要と供給とを調和する為に商業は行はるべきである。其れが、其有無の融通を妨害し、供給を壟断《ろうだん》する為に行はれる。暴力の横行を防禦して人民の自由、平安を保護せんが為に設けられたる警察は、自ら暴力を用ゐて人民の平和的自由を妨圧する。人民の熱望と熟慮によりて選択せらるべき筈の代議士は、自ら詐欺、脅迫、誘惑の「選挙運動」を敢てして省みない。政府も、学校も、工場も、賭場も、女郎屋も、淫売屋も、教会も、寺院も、悉く是れ吾等自ら幻影を追ふて建設したる造営物に過ぎない。かくて偉大なる近代的バベルの塔は科学と工学の知識を傾倒して築かれた。

         四

 人間は自ら建てたバベルの塔に攀《よ》ぢ登らん為に競ひ苦しむ。されど其塔は吾等自らの蔭である。幻影である。吾等疲れ果てゝ地上に倒るゝの時、吾等自身の蔭も亦自ら消滅し去る。幻滅の悲劇とは即ち是れである。吾等は生れながらにして無明の慾を有つて居る。身を養はんが為の食物を過度にして、吾等は却て其胃を毀《そこな》ふ。徳に伴ふべき名声を希ふて、吾等は却て吾が徳を損ふ。美に誇るより醜きものは無いであらう。無明の慾を追ふて、吾等自身の蔭を追ふて生きるものは、幻滅の悲劇を見ねばならぬ。
 抑《そもそ》も吾等は地の子である。吾等は地から離れ得ぬものである。地の回転と共に回転し、地の運行と共に太陽の周囲を運行
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