あらう。心の単純な部落の全民衆はその長老を救主として神様の如く尊崇したであらう。そしてそれに自分等の持つてゐる最も善きものを捧げたであらう。かくて長老は生活のために労働もせずに専らその長じた研究に従事して益々智能を啓発したであらう。そして、その集積された学的知識は自然にその子孫に伝へられ、漸くにして特殊階級としての一家族が出来たであらう。これが或は戦争の場合の武将ともなり、又は武将と結託することにもなつたであらう。王様の起源をだづねると此くの如くである。かうして王様が出来るまでには、幾代も経過したであらうが、兎に角それが民衆一般の生活から分業的に卓出したものであることは疑はれない。
ハアバート・スペンサーは説いてゐる。「社会進化の過程のごく初めの期間に於て、我等は統治者と統治者との間の萌芽的分化を見出すものである。……然し乍ら最初の間は、この事はまだ不定限にして不確実であつた。……最初の統治者は自分で獲物を殺し、自分で自分の武器を作つた。自分で自分の小屋を建てた。そして経済的に考察すれば彼の部族に属する他の人々と何等差異がなかつたのである。征服と諸部族集合とに従て、両者の対照はより決定的になつた。優越的権力は或る家族に世襲となつてくる。酋長は最初軍事的であるが後には政治的になつて来て、自分でその慾望に応じて獲得することを已《や》めて、他の人々から支給をうけるやうになる。」(沢田謙氏訳『第一原理』「世界大思想全集」四二八頁)これも分業が独占的階級的差別となつた原始的事例である。
○ 近代産業の分業
然るに近代に至り、交通機関や印刷器械の発達につれて知識の普及が急速に行はれ、次で諸種の新産業が勃興して来たので、旧来の特権制度や、家伝的分業法はこの新興勢力と新興技能とに対抗することが出来なくなつて崩潰した。鬱然として諸種の事業が興り、様々な改革や、発明や、発見や、絶えず生起する新現象は旧来の特権的事業を破壊して諸事業は自然に新興民衆の手に帰するのであつた。かくて宗教革命から政治革命となり、旧来の特権的分業は民衆間の分業となつた。そして産業革命までを経過して、現代の立憲政治と資本主義経済組織とを成就するに至つた。殊にかうした産業革命を齎らした主要原因たる機械産業の特徴は従来の事業の種目的分割ではなくて、技術実行上の分業であつた。近代の産業革命の警鐘を鳴らせしものと称せられるアダム・スミスの『国富論』は、実に此「分業」といふ文字を初めて使用し、それによつて世界の知識人は漸く意識的にこの分業とその結果とを見るに至つたのである。前段に掲げたるクロポトキンや、セエ等の分業悲観論は主としてこの工業的労働の細分割にある。
即ち大組織の機械を運転する補助者として使用せられる賃金労働者は、僅かに生命を維持し得るだけの賃金を受けて、一生涯、終日、極めて単純な一労作を反覆連続することを務めとせねばならぬ。そして人間としての全面的生活を味はひもせぬは勿論のこと、機械の全機構さへも了解しない。労働者は単にその機械をして多大の余剰価値を生産せしめて資本家に捧げしめる道具に過ぎなくなつた。
○ 地理的分業
然るに以上の如く、人或は家による事業の分担と並んで、土地の事情に基く地方的分業が古から自然に発達した。自然現象に支配せられること多き古代人には殊にこの事実が著しかつた。前者を歴史的分業と称すべくんば、後者は地理的分業と言ひ得るであらう。海浜に於ける漁業、山地に於ける牧畜、熱帯湿地に於ける米作、熱帯乾燥地に於ける橄欖樹オレンヂ栽培等数へ挙げれば限りもなく多くの地方的特産事業があり、またそれに伴ふ産業が地方的に分業せられる。
ところが地理的または歴史的の理由に因つて、或は地方間の交通が開け、或は地方住民の移住が行はれ、更に或は戦争の結果として、或る地方民が他の民族に服従するに至ると、未知の技術を持つた外来民族又は新付民族の刺激によつて、そこに新らしい事業が起り、そこにまた新らしい分業事実が増加するのである。
かくて古代に於ては地理的自然の支配によつて職業を限定せられた人間も、近代に至つては社会的環境の影響に応じて自我意識を明確にし、自己の才能と周囲社会との関係を認識して、自分の占むべき社会上の地位と職分とを発見する。それが芸術的傾向による決定でも、生存の為の努力でも、要するに個性の発揮といふことが其間を貫く一事実である。従てかうした分業は自由を求むる心意の発露であると言ふべきである。
然るに近代の機械的産業文化の本質たる分業制は最初に述べたる如く諸学者の批難を受けるほどに悪弊を醸し、人間性に反して徒らに労働者を虐げ、徒らに富者のみの富を益々増加して其堕落費を奉納するの手段となつた。
そもそも、それは何故であるか。ここに近
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