文化の本質とも見るべき分業制度を如何に取扱ふべきか。この制度は吾々の社会生活が発展して行くに連れて益々増大するであらうか。さうした極度の分業生活は人間としての尊厳を傷つけるに至らぬであらうか。或はさうでなく、或る程度に分業が達すれば自然にその分化は停止して却て綜合的にまたは兼業的に向ふであらうか。それとも自発的には分業の発展が停止しなくても人為的に防止すべく努力すべきであるか。更らにまた翻へつて、分業そのものに弊害がある訳ではなく、病的に発達した場合のみが悪いのであるか。病理学的研究によつて社会的生理を明かにし、それによつて分業制の是非を決定すべきであるか。
凡そこれ等の問題にそれ/″\正確な答へを与へるには簡単な記述では出来ない。近代|仏蘭西《フランス》に於ける社会学の一権威デユルケムの大著『社会的分業論』は是等の諸問題に対して先づ首肯せらるべき解決を与へてゐるが、併し、それでも尚ほ人間の社会生活の半面をしか見てゐない様な感を懐かされる。従て此論文には可なり多量にデユルケムの思想や言葉が採用されるであらうが、それに対する他の半面があり、且つそれが甚だ重要であることを断つて置く。
私は前掲の諸問題について一々論じて見たいのであるが、それは此小紙面では到底容れられない。已を得ず、それ等に対して自ら解答になるであらうやうに、先づ人間社会に如何にして分業が起り、如何に変遷して来たか、といふ点から説明し、それから分業と社会連帯性との関係に及び、社会の進歩との関係に及び、更に進んで分業の得失を論じ、理想的分業制にまで論歩を進めたいと思ふ。
○ 分業の起源
分業は何故に起つたか? 最も広く行はれてゐる説によると、分業の原因は、人間が絶えず幸福の増加を要求するところのその慾望にあるといふ。併し幸福とは何ぞやといふ問題も可なり不確定な観念を以て成立する。そこで幸福の内容如何は問はず、ただ人間が楽しみ赴くところを幸福と称するといふことにして、さてさうした心理的法則は何れの社会にも行はれてゐるが、分業制は必ずしも一様には進歩しない。勿論、幸福の慾望は分業制生起の一要素にはなるであらうが、それには他の条件が備はらねばならぬ。即ち幸福の慾望が自我意識の覚醒に伴はなければならない。デユルケムは「分業は社会の積量と密度とによつて直ちに変化する。そして若し分業が社会発展の過程に於て継続的に進歩するとすれば、それは社会が規則的により[#「より」に傍点]稠密になり、また一般的により[#「より」に傍点]大きくなるからである」といふ定則を作つてゐる。更に進んでデユルケムは言ふ、社会がより[#「より」に傍点]大きくより[#「より」に傍点]稠密になるに従つて事業が益々分化するのは、それは生存のための闘争がより[#「より」に傍点]緊張するからであると。それは諸人が同様な目標を立てて進めば競争が激しくなるが、異なつた目標に進む時は競争はないからである。けれどもデユルケムのこの議論は些かダア※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ニズムの一面に固着した傾きがありはしないか。
生存競争なぞは甚だしくなくても、自我意識が発達する場合には自ら分業が起つて来たのではないか。特に工業と美術とが分離しない時代に於ては、芸術的自尊心によつて諸種の工芸がその天才の家系に一種の秘伝として伝はり、従て諸家の間に自ら分派、分業が起つたであらう。学問、知識に於ても矢張り同様に、或は陰陽術、或は文章学等の諸知識が家伝として分業的に伝はりもした。『古事記』神代紀、天の石屋戸会議の条に、「八百万神、天安之河原に、神集ひて……イシコリドメの命に科せて鏡を作らしめ、タマノオヤの命に科せて八尺の勾玉の五百津の御頻麻流の玉を作らしめ云々」とあるは、日本に於ける分業制の最も古き記録と見るべきで、これから段々「家業」といふものが伝はつてゐる。家業とは家に伝はつた職業である。
○ 階級的分業
分業の最初が生存競争の為に起つたといふよりは、寧ろ自我意識の発達に基くと見らるべき徴証は他にもある。そして分業の発端に於ては、それは一種の独占業として又は階級として表はれてゐる。例へば一部落の長老中に特に知力と記憶力との発達したものがあるとする。太古の暦を持たない民衆にとつては呪はしい酷寒の冬の期節、即ちサムソン――サムソンはアラビア語のシユムシと語源を同じくしセミチツク語の太陽といふことである――の健康の最も衰へる時期には民衆の悲哀は極点に達したに相違ないが、その時、智能の優れた長老が、その長い経験と記憶とに基いてやがてサムソンの体力復活の時期、吾々を救ふために暖い春の日を持つて来る時期を予言したとすればどうであらう。或は初夏の「雪しろ水」を予告し、或は二百十日の暴風を予言したとすればどうで
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