る、特殊な独立な機械的分業制を以て営まれることになつた。それはカアペンタアが疾病の徴証とせるところ、即ち「部分的な中心が全一体に服従しないで自らを樹立拡張する」のである。資本家が社会から分立して創立したるこの分業的工業は労働者の自我意識に基く分業ではなくて、却て其自我を削殺する純機械的分業である。「賃金か餓えか」に強迫せらるゝ奴隷的分業である。かうした強迫的機械的集合生活に階級的闘争のみあつて、連帯性のないのも、相互精神のないのも当然である。そして此近代文明の主要素たる機械的強迫的分業制が全社会に反映する結果は更らに恐るべきものがある。それは総ゆる方面に於ける社会の最も新鋭分子たるべき若き人々の自我と個性を削殺するに至るのである。
以上に記するところによつて読者は社会的分業の生理的現象と病理的状態とを略《ほ》ぼ了察し得たであらう。即ち読者は分業制そのものは寧ろ吾々の社会的連帯生活に欠くべからざるものであるが、これを強制的に行ふことは却て反社会的の為方であり、社会連帯性の破壊であつて、階級闘争を激発するものであることが了解されるであらう。デユルケムがその名著『社会的分業論』に於て、「分業を最大限度に行へといふに非ず、必要の限度に実現せよ……」と説いたのは、かうした理由によるのである。
○ 分業と社会
若し万人が同じ生業を営み、自給自足をするとせば――その様なことはあり得ないが――その人間社会は機械的の結合しか出来ず、連帯性は極めて薄弱で、些かの困難又は外患によつても忽ちに破壊されて了ふであらう。そして外来又は内発の強権力に統一される運命に陥ゐるであらう。諸生物が所謂高等になるに従て諸機関の分業的組織が複雑になり、各部が自働[#「働」に「(ママ)」の注記]的連帯性を現す如く、人類社会もまた発達するに従て分業が複雑になり、諸機関の間の連絡も益々緊密になる。兎は臭覚と視覚との連絡を持たないが犬の両感覚神経には統一がある。即ち意識が発達してゐるのである。分業による自我意識の生活は、その儘にして社会に有機的に連帯し、それによつて利己は其まゝ利他と一致するに至る。社会と個人とは物質的にも精神的にも一致するに至る。スクレタンが「自己完成とは、自分の役目を学ぶことだ。自分の職務を充すべく有能者となることだ!……」と言つたのはこれだ。
この分業的役割の思想を離れた従
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