代社会の病理的研究の必要がある。然るにオーギユスト・コントは病理学の原則に就て次の如く言つてゐる。「ブルツセエの天才によつて創始せられた実証的病理学の原則によれば、病理学的状態(病症)と生理学的状態(健康状態)との間には根本的の差異はない。病理学的状態とは常態にある生物の各現象に固有な、そして或は高等な或は下等な変化の限界の単なる延長であるに過ぎない。病理学的状態は或る程度に於ては純生理学的状態との類似を持つてゐないが、決して真の新らしい現象を生むものではない(註)。」この原則は今日の病理学の原則としても是認せられるやうであり、且つこれを社会の病理的現象を考察するの標準ともなし得るであらう。
 註、拙訳『実証哲学』上巻三四八頁

     ○ 分業の病理的現象

 分業が人類の社会生活を営むための必要条件として発達せることは前段に述べたところによつて略ぼ察せられるであらうが、尚ほ一段の深い意義を分業に見出すべき事実が別に存在する。それは吾々の社会生活が、器械的の結合から漸次に有機的結合へと発達して行く主要素としての分業の役目である。吾々の社会生活に器械的結合要素が多大な時期に於ては、その結紐となつたものは刑罰法であり、従てそれを保持するものは絶対的な強権であつた。然るに個人の社会的覚醒が発達し、政治にも産業にも学問にも分化(分業)作用が行はれるにつれて、強権的刑罰法が吾々の日常生活に干渉することは漸く減少し、之に反して協同主義的或は相互主義的法規が益々多く広く吾々の生活を規定するやうになつた。民衆に与へられる自由は漸く拡張せられ、知識の普及とともに、各自が自分を大成するの希望とその世界とが開けた。
 かくて各個人は従来の族党又は藩閥、或は王侯貴族の覊絆を脱して、直接大きな国家的社会に連帯生活を始めた。各個人の分業的職能は国家的社会の有機的(不完全或は部分的ではあるが)生活に直接的連帯を形成する主要素となつた。各個人の自我意識とその自主的行動は同時に全社会の連帯生活と利益を同じくするやうに、社会発展の方針は向けられた。
 然るに、この自我意識に基く分業を全社会と連帯せしむべき流通路は再び法律によつて遮断された。それは所有権の特別的保護即ち資本主義の維持である。かく強権の保護によつて成立せる資本主義的機械産業は一般社会生活と隔離せる、換言すれば社会的連帯生活から遮断した
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