の作家があらゆる MOEGLICH(可能)な技巧を遠慮会釈なく用いん事を希望している。その時の内面の要求に従って必ずしも非日本的を恐れない事を祈るのである。いくら非日本的でも、日本人が作れば日本的でないわけには行かないのである。GAUGUIN(ゴーガン)は TAHITI(タヒチ)へまで行って非フランス的な色彩を残したが、彼の作は考えて見ると、TAHITI 式ではなくして矢張りパリっ子式である。WHISTLER(ホイスラー)はフランスに暮してある時はまた日本に対する NOSTALGIE(ノスタルジー)を恣にしたが、これも争われない ANGEL−SAECHSISCH(アングロサクソン風)である。あの TURNER(ターナー)はロンドンの市街をイタリヤの色彩で画いていたが、今思えば彼のイタリヤの自然を写した色彩はやはり英国式であった。MONET(モネ)はフランスの地方色を出そうと力めたのではない。自然を写そうとしたのである。勿論、世間からフランスの色彩とは認められなかったのである。フランスの色彩と認められないどころか、自然の色彩とも認められなかったのである。空色の樹の葉を画いたといっては罵ら
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