れる銅造観世音菩薩立像である。
夢殿、中宮寺を含む法隆寺一郭の中にわれらの美の淵源とすべき彫刻の充満していることはいうまでもない。金堂安置の薬師如来像のような聖徳太子御在世中の造像にかかるものや、同金銅|釈迦《しゃか》三尊像や、所謂|百済観音《くだらかんのん》像や、夢殿の救世《くせ》観世音菩薩像、中宮寺の如意輪観音と称する半跏《はんか》像の如き一聯《いちれん》の神品は、悉《ことごと》く皆日本美の淵源としての性質を備えている。殊に夢殿の秘仏救世観世音像に至っては、限りなき太子讃仰の念と、太子|薨去《こうきょ》に対する万感をこめての痛惜やる方ない悲憤の余り、造顕せられた御像と拝察せられ、他の諸仏像とは全く違った精神雰囲気が御像を囲繞《いじょう》しているのを感ずる。まるで太子の生御魂《いきみたま》が鼓動をうって御像の中に籠《こも》り、救世の悲願に眼をらんらんとみひらき給うかに拝せられる。心ある者ならば、正目には仰ぎ見ることも畏《かしこ》しと感ぜられる筈であり、千余年の秘封を明治十七年に初めて開いたのがフェノロサという外国人であったという事であるが、これは外国人だからこそ敢て為し得たというべ
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