きである。様式だけは北魏に則《のっと》って造られているが、この破天荒とも言うべき表現の直接性は決して様式伝習の間から生れているのではなく、却《かえっ》て様式|破綻《はたん》から溢《あふ》れ出る技術と精神|気魄《きはく》との作ったものである。作者がしゃにむになって、むしろ有る限りの激情をうちつけに具象化したものと考えられる。あらたかな御像という物凄いほどの力がその超越的な写実性から来る。作者が絶体絶命な気構で一気に此の御像を作り上げ、しかも自分自身でさえ御像を凝視するのが恐ろしかったような不思議な状態を想見することが出来る。藤原時代に早くも秘仏としておん扉を固く閉じ奉ることに定められたという事のいわれが分るような気がする。この御像にはあらゆる宗教的、芸術的約束を無視した、言わばただならぬもの[#「ただならぬもの」に傍点]があるのである。私は今日でもこの御像は再び秘仏として秘封し奉る方がいいのではないかとさえ思っている。たしかに太子が推古の御代を深くおもい給い、蒼生《そうせい》の苦楽をあわれませられ、更には衆生の発菩提心《ほつぼだいしん》に大悲願をかけさせられる生御魂がここにおわすのである
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