かりではない。これこそ美の源泉そのものの相異を認識する力無き者の商量であるといわねばならない。
 日本に於ける大和民族の美の源泉は深く神々の世の血統の中にある。幾千年の歴史の起伏を経て、美の相貌には種々の変化を見たが、美の本質に於ては今も太古の如くである。太古は今の如く新らしく、古事記は今日の書である。日本に於ける美の源泉は古来人知れず世界の一隅に涌きつづけていた。涌いては海に流れていたため、自尊気質の支那には素より認められず、まして日本を支那の属国ぐらいに長い間思っていた欧米諸民族には知られるわけもなく、独り天地の奥処に自らをますます深めていたのである。われわれの持つ美の源泉は今日までまだ人類の間によく知られなかった程新鮮無比、健康にして闊達《かったつ》な、又みやびにして姿高いものであり、それが日本美術史上の遺品の中にさまざまの形態となってあらわれている。私はその中から眼につく幾つかの例を挙げてわれわれ民族の美の特質が如何に世界に於ける新らしい美の源泉として、今後の人類文化に匡正《きょうせい》と豊潤とを与うべきかをたずねてみよう。

   埴輪の美

 埴輪《はにわ》というのは上代古
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