の大系譜である。今日の欧米諸民族の美の源泉は悉《ことごと》く此の二系統にその母体を持つ。欧洲に於ける如何に飛び離れた新らしい美も此の二系統の外に出る事は出来ない。彼等の美的教養の限界がそれをゆるさないのである。欧米の国力は殆ど世界を制覇していたので、今日まで彼等の美は即ち世界の美となった。ギリシャの円柱は現に東京丸の内にも立っている。これこそ美の世界性であって、人類の親和本能がこれを行わしめるのである。東亜に於ては古来漢民族の美の源泉が優勢を占めていて、東亜の美といえば即ち支那系の美であるように世界に認められていた。欧洲の学者の多くは日本の美をも支那系と目している。少くとも支那美の一傍系と見ているようである。大和民族に独立の美の一大源泉があって、まったく世界のいずくにも類を見ない特質を持っている事を正しく認識している者は少い。甚だしきは支那を学んで及ばざる者が日本の美だと考えている。日本の寺院建築は支那の建築を学んだが、その規模も輪奐《りんかん》の美もはるかに支那に及ばない。日本の仏教美術は支那に学んだが、摩崖の大も日本には無く、宋元の幽玄の深さも日本には見ないと説くのはただに欧米人ば
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