郭がきつぱりしてゐて、甚だしく嵩のあるところと、細くひき緊つたところとが必ずあつて、抑揚がつき、どんな姿勢をしても全体から輪郭の突飛な逸脱を起さない。或る図形のうちに統一されて動いてゐる。これは幅びろな装束類や着附のおのづから構成する彫刻的な綜合性である。さういふシテが置物のやうなワキと調和ある位置を終始保つて去来するありさまを見て、われわれがそれを彫刻の延長のやうに感ずるのは無理がないであらう。
 面の問題になると、これはもとより彫刻そのものの問題である。舞台で見ると、仮面の方が真実の面で、直面の方が一時的の面のやうに見える。仮面の方に永遠な芸術力があつて、人間の生の顔の方には唯何某といふ人の、芸術の素材に過ぎない個人的人面があるばかりであるからである。能舞台全体の造型的な空気の中にあつては瞬きをしない、抑揚の強い能面こそ正常の表現を持つものであり、電車の中ででも見られる生きものの人面は甚だしく貧弱な、些細な、仮性の表現を持つものとならざるを得ない。芸術の威力をこれ程はつきり見せられることも珍しい。能面は人面の彫刻的要約である。従つてそこには彫刻的省略と誇張とがある。しかもそれは概ね
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