平時の人面を表徴するよりも、或る劇的情緒の表現に堪へ得る種類の人面を表徴する役目を持つ。それが或る特定の情緒のみに局限せられず、或る性格のもののあらゆる場合に於ける表現に堪へ得なければならず、勢ひ能面そのものの絶対表現は或る定まつた性格の中核的内面世界の核心を表徴するものとなる。いはば八方睨みの竜の眼のやうに、その性格としての中正の一点を捉へねばならないのである。さういふ難事を能面作者は彫刻的に成就してゐる。喜んだ同じ面が悲しみもする。怒つた同じ面が息をきつて自卑の念にも悶える。「痩男」は「痩男」としてのあらゆる表現の芽を含み、「般若」は「般若」としてのあらゆる表現の陰影を内包してゐる。見張りきりの眼、開いたきりの口が却つてその性格の持つ宿業の深さを暗示する。「藤戸」の怨霊の面は舞台の上で長く正視するに堪へない程物すごく人に迫る。「船弁慶」の亡霊の面には正法にはとても敵し難い弱さを内心に蔵して、しかもなほあやかしの持つ強烈な霊の力を頼みとする者の哀れさがある。弱くして強く、烈しくして脆いこの表現の妙は悉くその性格の中正を捉へた彫刻的契機から発する。決して日常表面の特殊変化に偏つた表現で
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