の脇のあたりに突きさすやうな動きをするが、さういふ時身体全体は依然として朦朧と立つてゐる。立つてゐる形は崩れない。一つの形から一つの形への推移が純粋なのであらゆる瞬間が彫刻である。彫刻に於ける「形」といふのは必ず主要な形態に一切を統一して、その動勢の意味を公理ある型にまで上昇せしめたものである。決して中途半端な、あいまいな、四散するやうな二次三次的な形態はとらないのである。さういふ点で能の動作の各瞬間が彫刻的一齣であるといへる。それ故、面をかけた首に個人的な曲り癖が見えたり、上体のぐらつきが見えたり、ほんの心持だけでも故なく旁視したりする気はひが見えたりすると甚だをかしいといふことである。さうであらうと想像される。それほど厳重な造型であるだけに、逆に、天冠の纓絡などがきらきらと細かく揺れ動いてゐるやうな時、その美しさ、きらびやかさはまさに天上のものとなり、又怨霊などの黒頭の毛がふわふわと自然にゆれ動くのが何ともいへず気味わるく、凄く目にうつる。自然に動いてゐるものの方が、能では一種別様な世界のものに見えてくる。
 その上、能の装束そのものが既に彫刻的の性質を帯びてゐる。すべて大きく、輪
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