甚だ強い。その動きはたとへば人間の動作の無水原質のやうなもので、われわれ日常の動きはいつでもそれに水を割つてゐる。その無水原質が更に凝圧されて、じつと静かに不動の形となる時、それは実に激甚な内面の動きとなる。曾て或人の「山姥」を脇から観たことがあるが、その老女が何といふのか甚だ地味で質素な青味がかつた色合の扮装で正面にうづくまるやうにこごみ加減に下に居て長い間じつとしてゐる姿には、その内面の激情が妖気を帯びて物凄いばかりに感じられた。これは殆ど一つの彫刻が置いてあるのと同じであり、彫刻と違ふところは、物そのものが呼吸をし、音声を出している点に過ぎない。面にこもつて出てくるあの一種の音声がしづかに物寂びて、四辺の空気に深い山林の精気をただよはす。その中にじつとしてゐる此の造型物はきりりとしまつて、よくこなされてゐて、些少の駄肉もない。これは彫刻の持つ神秘感をそのまま舞台に見る一例であるが、能に於ける動きのあらゆる場合がこの性質を持つてゐること言をまたない。「道成寺」の乱拍子のやうなところは素より、随分はげしい所作の時でも、その造型性は厳然と保たれる。「藤戸」の怨霊が杖をはげしく振つて自分
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング