ザンゼルスでオリムピツクのあつた年であるが、その七月十五日の朝、彼女は眠から覚めなかつた。前夜十二時過にアダリンを服用したと見え、粉末二五|瓦《グラム》入の瓶《びん》が空になつてゐた。彼女は童女のやうに円く肥つて眼をつぶり口を閉ぢ、寝台の上に仰臥《ぎようが》したままいくら呼んでも揺つても眠つてゐた。呼吸もあり、体温は中々高い。すぐ医者に来てもらつて解毒の手当し、医者から一応警察に届け、九段坂病院に入れた。遺書が出たが、其にはただ私への愛と感謝の言葉と、父への謝罪とが書いてあるだけだつた。その文章には少しも頭脳不調の痕跡《こんせき》は見られなかつた。一箇月の療養と看護とで平復退院。それから一箇年間は割に健康で過したが、そのうち種々な脳の故障が起るのに気づき、旅行でもしたらと思つて東北地方の温泉まはりを一緒にしたが、上野駅に帰着した時は出発した時よりも悪化してゐた。症状一進一退。彼女は最初幻覚を多く見るので寝台に臥《ふ》しながら、其を一々手帳に写生してゐた。刻々に変化するのを時間を記入しながら次々と描いては私に見せた。形や色の無類の美しさを感激を以て語つた。さうした或る期間を経てゐるうちに
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