もかなり重なり、結局やつぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず、おまけに私が昼間彫刻の仕事をすれば、夜は食事の暇も惜しく原稿を書くといふやうな事が多くなるにつれて、ますます彼女の絵画勉強の時間が食はれる事になるのであつた。詩歌《しいか》のやうな仕事などならば、或は頭の中で半分は進める事も出来、かなり零細な時間でも利用出来るかと思ふが、造型美術だけは或る定まつた時間の区劃が無ければどうする事も出来ないので、この点についての彼女の苦慮は思ひやられるものであつた。彼女はどんな事があつても私の仕事の時間を減らすまいとし、私の彫刻をかばひ、私を雑用から防がうと懸命に努力をした。彼女はいつの間にか油絵勉強の時間を縮少し、或時は粘土で彫刻を試みたり、又後には絹糸をつむいだり、其《それ》を草木染にしたり、機織《はたをり》を始めたりした。二人の着物や羽織を手織で作つたのが今でも残つてゐる。同じ草木染の権威山崎|斌《たけし》氏は彼女の死んだ時弔電に、

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袖のところ一すぢ青きしまを織りて
あてなりし人今はなしはや
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といふ歌を書いておくられた
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