どこ》にでも居るのである。
智恵子が結婚してから死ぬまでの二十四年間の生活は愛と生活苦と芸術への精進と矛盾と、さうして闘病との間断なき一連続に過ぎなかつた。彼女はさういふ渦巻の中で、宿命的に持つてゐた精神上の素質の為に倒れ、歓喜と絶望と信頼と諦観《ていかん》とのあざなはれた波濤《はとう》の間に没し去つた。彼女の追憶について書く事を人から幾度か示唆《しさ》されても今日まで其を書く気がしなかつた。あまりなまなましい苦闘のあとは、たとひ小さな一隅の生活にしても筆にするに忍びなかつたし、又いはば単なる私生活の報告のやうなものに果してどういふ意味があり得るかといふ疑問も強く心を牽制《けんせい》してゐたのである。だが今は書かう。出来るだけ簡単に此の一人の女性の運命を書きとめて置かう。大正昭和の年代に人知れず斯《か》ういふ事に悩み、かういふ事に生き、かういふ事に倒れた女性のあつた事を書き記して、それをあはれな彼女への餞《はなむけ》とする事を許させてもらはう。一人に極まれば万人に通ずるといふことを信じて、今日のやうな時勢の下にも敢て此の筆を執らうとするのである。
今しづかに振りかへつて彼女の上を考
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