ら救ひ出される事が出来た経歴を持つて居り、私の精神は一にかかつて彼女の存在そのものの上にあつたので、智恵子の死による精神的打撃は実に烈しく、一時は自己の芸術的製作さへ其の目標を失つたやうな空虚感にとりつかれた幾箇月かを過した。彼女の生前、私は自分の製作した彫刻を何人よりもさきに彼女に見せた。一日の製作の終りにも其《それ》を彼女と一緒に検討する事が此上《このうえ》もない喜であつた。又彼女はそれを全幅的に受け入れ、理解し、熱愛した。私の作つた木彫小品を彼女は懐に入れて街を歩いてまで愛撫《あいぶ》した。彼女の居ないこの世で誰が私の彫刻をそのやうに子供のやうにうけ入れてくれるであらうか。もう見せる人も居やしないといふ思が私を幾箇月間か悩ました。美に関する製作は公式の理念や、壮大な民族意識といふやうなものだけでは決して生れない。さういふものは或は製作の主題となり、或はその動機となる事はあつても、その製作が心の底から生れ出て、生きた血を持つに至るには、必ずそこに大きな愛のやりとりがいる。それは神の愛である事もあらう。大君の愛である事もあらう。又実に一人の女性の底ぬけの純愛である事があるのである。自
前へ
次へ
全73ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング