気力の強さには時々驚かされる事もあつたが、又そこに随分無理な努力も人知れず重ねてゐたのである事を今日から考へると推察する事が出来る。
その時には分らなかつたが、後から考へてみれば、結局彼女の半生は精神病にまで到達するやうに進んでゐたやうである。私との此の生活では外に往く道はなかつたやうに見える。どうしてさうかと考へる前に、もつと別な生活を想像してみると、例へば生活するのが東京でなくて郷里、或は何処かの田園であり、又配偶者が私のやうな美術家でなく、美術に理解ある他の職業の者、殊に農耕牧畜に従事してゐるやうな者であつた場合にはどうであつたらうと考へられる。或はもつと天然の寿を全うし得たかも知れない。さう思はれるほど彼女にとつては肉体的に既に東京が不適当の地であつた。東京の空気は彼女には常に無味乾燥でざらざらしてゐた。女子大で成瀬校長に奨励され、自転車に乗つたり、テニスに熱中したりして頗《すこぶ》る元気溌剌たる娘時代を過したやうであるが、卒業後は概してあまり頑健といふ方ではなく、様子もほつそりしてゐて、一年の半分近くは田舎や、山へ行つてゐたらしかつた。私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。田舎の空気を吸つて来なければ身体《からだ》が保《も》たないのであつた。彼女はよく東京には空が無いといつて歎《なげ》いた。私の「あどけない話」といふ小詩がある。
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智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながらいふ。
阿多多羅山《あたたらやま》の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
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私自身は東京に生れて東京に育つてゐるため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出来ず、彼女もいつかは此の都会の自然に馴染《なじ》む事だらうと思つてゐたが、彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかつた。彼女は東京に居て此の要求をいろいろな方法で満たしてゐた。家のまはりに生える雑草の飽くなき写生、その植物学的探究、張出窓での百合《ゆり》花やトマトの栽培、野菜類の生食、ベトオフエンの第六交響楽
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