父の永眠。相続人の遊蕩《ゆうとう》。破滅。彼女にとっては堪えがたい痛恨事であったろう。彼女はよく病気をしたが、その度に田舎の家に帰ると平癒した。もう帰る家も無いという寂しさはどんなに彼女を苦しめたろう。彼女の寂しさをまぎらす多くの交友を持たなかったのも其の性情から出たものとはいえ一つの運命であった。一切を私への愛にかけて学校時代の友達とも追々遠ざかってしまった。僅かに立川の農事試験場の佐藤澄子さん其の他両三名の親友があったに過ぎなかったのである。それでさえ年に一二度の往来であった。学校時代には彼女は相当に健康であって運動も過激なほどやったようであるが、卒業後|肋膜《ろくまく》にいつも故障があり、私と結婚してから数年のうちに遂に湿性肋膜炎の重症のにかかって入院し、幸に全治したが、その後或る練習所で乗馬の稽古《けいこ》を始めた所、そのせいか後屈症を起して切開手術のため又入院した。盲腸などでも悩み、いつも何処かしらが悪かった。彼女の半生の中で一番健康をたのしんだのは大正十四年頃の一二年間のことであった。しかし病気でも彼女はじめじめしてはいなかった。いつも清朗でおだやかであった。悲しい時には涙
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