分下山した人の噂話を種にしたものであろう。それが又家族の人達の神経を痛めさせた。十月一日に一山|挙《こぞ》って島々へ下りた。徳本峠の山ふところを埋めていた桂の木の黄葉の立派さは忘れ難い。彼女もよくそれを思い出して語った。
 それ以来私の両親はひどく心配した。私は母に実にすまないと思った。父や母の夢は皆破れた。所謂《いわゆる》洋行帰りを利用して彫刻界へ押し出す事もせず、学校の先生をすすめても断り、然るべき江戸前のお嫁さんも貰わず、まるで了見が分らない事になってしまった。実にすまないと思ったが、結局大正三年に智恵子との結婚を許してもらうように両親に申出た。両親も許してくれた。両親のもとにかしずかず、アトリエに別居するわけなので、土地家屋等一切は両親と同居する弟夫妻の所有とする事にきめて置いた。私達二人はまったく裸のままの家庭を持った。もちろん熱海行などはしなかった。それから実に長い間の貧乏生活がつづいたのである。
 彼女は裕福な豪家に育ったのであるが、或はその為か、金銭には実に淡泊で、貧乏の恐ろしさを知らなかった。私が金に困って古着屋を呼んで洋服を売って居ても平気で見ていたし、勝手元の引出
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