で出来た字が生れる。世の中にはなかなかそういう書が幅をきかせている。私などもその一人であるが、これではならぬと思ってつとめて天下の劇跡に眼を曝《さら》すことにしているのである。

   三

 書はもとより造型的のものであるから、その根本原理として造型芸術共通の公理を持つ。比例均衡の制約。筆触の生理的心理的統整。布置構造のメカニズム。感覚的意識伝達としての知性的デフォルマシヨン。すべてそういうものが基礎となってその上に美が成り立つ。そういうものを無視しては書が存在し得ない。書を究めるという事は造型意識を養うことであり、この世の造型美に眼を開くことである。書が真に分かれば、絵画も彫刻も建築も分かる筈であり、文章の構成、生活の機構にもおのずから通じて来ねばならない。書だけ分かって他のものは分からないというのは分かりかたが浅いに外なるまい。書がその人の人となりを語るということも、その人の人としての分かりかたが書に反映するからであろう。
 顔真卿《がんしんけい》はまったくその書のように人生の造型機構に通達した偉人であり、晩年逆徒李希烈に殺されるのを予《あらかじ》め知って、しかも従容として運命の迫るのを直視していた其の態度の美が彼の比類無い行草の藁書《こうしょ》類に歴々と見られる。斯《かく》の如き書を書くものは正に斯の如き心眼ある人物である。後年の名筆であってしかも天真さに欠け、一点|柔媚《じゅうび》の色気とエゴイズムのかげとを持つ趙子昂《ちょうしこう》の人物などと思い比べると尚更はっきり此事がわかる。書を学ぶのはすなわち造型美の最も端的なるものを学ぶ事であり、ただ字がうまくなる勉強だけでは決してない。お手本や師伝のままを無神経にくり返してただ手際よく毛孔《もうく》の無いような字を書いているのが世上に滔々《とうとう》たる書匠である。

   四

 漢魏六朝の碑碣《ひけつ》の美はまことに深淵のように怖ろしく、又実にゆたかに意匠の妙を尽している。しかし其は筆跡の忠実な翻刻というよりも、筆と刀との合作と見るべきものがなかなか多く、当時の石工の技能はよほど進んでいたものと見え、石工も亦立派な書家の一部であり、丁度日本の浮世絵に於ける木版師のような位置を持っていたものであろう。それゆえ、古拓をただ徒《いたずら》に肉筆で模し、殊に其の欠磨のあとの感じまで、ぶるぶる書きに書くようになって
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング