の根もとなどに光っている。毎朝ざるに一杯ずつ拾い、あとはすてて置く。拾っているうちにもぱらぱら落ちてくるし、小屋の屋根には案外大きな音をたてる。クマザサの中にもばさっと落ちるが、下草のある中に落ちた栗の実はなかなか見つけられないもので、不思議にうまくかくれてしまう。
山の栗は多く実が小さいシバグリだが、小屋のあたりのはタンバグリとシバグリとの間くらいのもので食うのにあつらえ向きだ。毎日栗飯を炊いたり、うで栗にしたり、いろりで焼栗にしたりする。ぬれ紙につつんで灰の中で焼く焼栗を電灯の下でぼつぼつ食べていると、むかし巴里《パリ》の街角で、「マロンショウ、マロンショウ」と呼売していた焼栗の味をおもい出す。あの三角の紙包をポケットに入れて、あついのを歩きながら食べたことを夢のように思い出す。あれはフランス、ここは岩手、なんだか愉快になったものだ。
部落の子供や小母さんらがよくかごを持って栗ひろいにくる。裏の山の南側のがけに取りきれないほど落ちているが、自然にどこの木が一番うまいというようなことがあるようである。栗拾いには随分山の奥の方まで出かけるが、そういう時に時々熊のいる形跡に出あって逃
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