部落中の人が集ってお経をあげる。お経のあとでは持ち寄りのご馳走や、般若湯《はんにゃとう》の供養でたのしい一夕をすごす習慣になっている。和尚さんは五里の道を自転車でとばして来て、汗を入れると明るいうちに大きな立派な仏壇の前で読経にかかる。農家の人たちもそれぞれに輪袈裟《わげさ》のようなものを首にかけて揃ってそれに和する。読経がすむと、かねて備えのお膳を大きな、ぶちぬきの部屋にずらりと並べ、本家《ほんけ》、かまどの順を正して座につき、酒盛りがはじまる。村の娘や小母さんが酌にまわる。いい頃を見はからって和尚さんはみやげを持って又自転車で町にかえる。あとは又さかんなおふるまいになるのである。「田頭《たがしら》さんへ」とか、「御隠居さんへ」とか、屋号や通称をよび立てて朱塗の大きな盃のやりとりが行われ、いかにも歓をつくすということになる。
 盆踊は大てい山口部落から一里ほどのところにある昌歓寺という大きなふるいお寺の境内で行われる。もとはススキとツツジの大原野であったが、今は見わたすかぎり開墾された開拓村の一本路を部落の人たちははるばる昌歓寺まで踊りにゆく。秋とはいってもまだ日中はなかなか暑いので
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