せんとする僧侶を作った。今思うと随分|滑稽《こっけい》な主題と構想とであって、経巻を破棄して立ち上り、甚だ俄芝居《にわかしばい》じみた姿態が与えられてあった。こういう風に私はどうしても彫刻で何かを語らずには居られなかったのである。この愚劣な彫刻の病気に気づいた私は、その頃ついに短歌を書く事によって自分の彫刻を護ろうと思うに至った。その延長が今日の私の詩である。それ故、私の短歌も詩も、叙景や、客観描写のものは甚だ少く、多くは直接法の主観的言志の形をとっている。客観描写の欲望は彫刻の製作によって満たされているのである。こういうわけで私の詩は自分では自分にとっての一つの安全弁であると思っている。これが無ければ私の胸中の氤※[#「气<慍のつくり」、第3水準1−86−48]は爆発に到るに違いないのであり、従って、自分の彫刻がどのように毒されるか分らないからである。余技などというものではない。
 ところで彫刻とは一つの世界観であって、この世を彫刻的に把握するところから彫刻は始まるのである。私の赴くところ随所皆彫刻である。私の詩が本来彫刻的である事は已《や》むを得ない結果である。彫刻の性質が詩を支配
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング