自分と詩との関係
高村光太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)措《お》いて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)随分|滑稽《こっけい》な

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)氤※[#「气<慍のつくり」、第3水準1−86−48]
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 私は何を措《お》いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとい善くても悪くても、私の宿命的な彫刻家である事には変りがない。
 ところでその彫刻家が詩を書く。それにどういう意味があるか。以前よく、先輩は私に詩を書くのは止せといった。そういう余技にとられる時間と精力とがあるなら、それだけ彫刻にいそしんで、早く彫刻の第一流になれという風に忠告してくれた。それにも拘《かかわ》らず、私は詩を書く事を止めずに居る。
 なぜかといえば、私は自分の彫刻を護るために詩を書いているのだからである。自分の彫刻を純粋であらしめるため、彫刻に他の分子の夾雑《きょうざつ》して来るのを防ぐため、彫刻を文学から独立せしめるために、詩を書くのである。私には多分に彫刻の範囲を逸した表現上の欲望が内在していて、これを如何とも為がたい。その欲望を殺すわけにはゆかない性来を有《も》っていて、そのために学生時代から随分悩まされた。若し私が此の胸中の氤※[#「气<慍のつくり」、第3水準1−86−48]《いんうん》を言葉によって吐き出す事をしなかったら、私の彫刻が此の表現をひきうけねばならない。勢い、私の彫刻は多分に文学的になり、何かを物語らなければならなくなる。これは彫刻を病ましめる事である。私は既に学生時代にそういう彫刻をいろいろ作った。たとえば、サーカスの子供の悲劇を主題として群像を作った事がある。これは早朝に浅草の花屋敷へ虎の写生に通っていた頃、或るサーカス団の猛訓練を目撃して、その子供達に対する正義の念から構図を作ったのである。泣いている少女とそれを庇《かば》っている少年との群像であった。又たとえば、着物が吊されてある大きな浮彫を作った事がある。その着物に籠《こも》る妖《あや》しい鬼気といったようなものを取扱ったのであるが、これも多分に鏡花式の文学分子を含んでいた。又美術学校の卒業製作には、還俗《げんぞく》
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