せんとする僧侶を作った。今思うと随分|滑稽《こっけい》な主題と構想とであって、経巻を破棄して立ち上り、甚だ俄芝居《にわかしばい》じみた姿態が与えられてあった。こういう風に私はどうしても彫刻で何かを語らずには居られなかったのである。この愚劣な彫刻の病気に気づいた私は、その頃ついに短歌を書く事によって自分の彫刻を護ろうと思うに至った。その延長が今日の私の詩である。それ故、私の短歌も詩も、叙景や、客観描写のものは甚だ少く、多くは直接法の主観的言志の形をとっている。客観描写の欲望は彫刻の製作によって満たされているのである。こういうわけで私の詩は自分では自分にとっての一つの安全弁であると思っている。これが無ければ私の胸中の氤※[#「气<慍のつくり」、第3水準1−86−48]は爆発に到るに違いないのであり、従って、自分の彫刻がどのように毒されるか分らないからである。余技などというものではない。
 ところで彫刻とは一つの世界観であって、この世を彫刻的に把握するところから彫刻は始まるのである。私の赴くところ随所皆彫刻である。私の詩が本来彫刻的である事は已《や》むを得ない結果である。彫刻の性質が詩を支配するのである。私が彫刻家でありながら彫刻の詩が少いのを怪んだ人が曾《かつ》てあったが、これは極めて表面的な鑑識であって、直接彫刻を主題として書いた詩ばかりが彫刻に因縁を持つのではない。詩の形成に於ける心理的、生理的の要素にそれが含まれているのである。だから多くの詩人の詩の形成の為方《しかた》と、私自身の詩の形成の為方とには何かしら喰いちがったものがあるように思われる。それは是非もない。
 詩の世界は宏大《こうだい》であって、あらゆる分野を抱摂する。詩はどんな矛盾をも容れ、どんな相剋《そうこく》をも包む。生きている人間の胸中から真に迸《ほとばし》り出る言葉が詩になり得ない事はない。記紀の歌謡の成り立ちがそれを示す。しかし言葉に感覚を持ち得ないものはそれを表現出来ず、表現しても自己内心の真の詩とは別種の詩でないものが出来てしまうという事はある。それ故、詩はともかく言葉に或る生得の感じを持っている者によって形を与えられるのであって、それが言葉に或る生得の感じを持っていない者の胸中へまでも入り込むのである。ああそうだと人々が思うのである。それが詩の発足で、それから詩は無限に分化進展する。私自身
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