。夢中になって拵え、かかりきりで一気|呵成《かせい》に仕上げた作だ。あの難しい時代を心配されて亡くなられた杖とも柱とも頼む聖徳太子を慕って、何だって亡くなられたろうと思う痛恨な悲憤な気持で居ても立ってもいられない思いに憑《つ》かれたようになって拵え、結果がどうなろうとそれを眼中に入れないで作られたものであろう。それは非常にあらたかなものである。自分で彫って拵えたろうけれども、その作者さえ其処に置いては拝めないように怖い仏であったろうと思う。御身躯は従来通りに作ったけれども、お頭は聖徳太子を思いながら拵えたのであろう。技術上微笑したようなお顔になっているけれども、拈華微笑《ねんげみしょう》の教義による微笑の意義を目指して拵えたという説があるようだが、私にはそうはとれない。あの時代に、ああいう風にこなすとああいう工合になるのは当然である。だから微笑を志してああいうお顔になったとは思えない。作り初めの人の彫刻を見ると、笑ったような顔に自然になりがちなもので、古い時代のものには可成それが手伝っているのだと思う。お目なども大きく見開いて居られるが、それもやっている中に大きくなって了ったのだと思う
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