。聖徳太子を慕う痛恨な気持が端々に実によく出ているように思われ、お手なども変てこに絡んでいるが、そんな気持で拵えたものであろう。そして立てた其上は手も加えられない程怖しい御仏に感じられたと思う。普通の仏とは違って生物の感じがあり、何か化身のような気が漂っている。私達が今見てもそうだけれど、昔は尚更そういう感じが強かったに違いない。それで兎に角封じて了わなければならぬという気持が坊さんの間に起ったのだと思う。その為にただの秘仏ではなく、御身躯を布でぐるぐる巻きにして封じて了った。その位あの御仏の製作は真剣さに溢《あふ》れ、彫刻上のいろんなことなど考えている暇のない仏である。恐しいのはその精神が溢れているからである。私達を搏《う》つのは彫刻上の技巧ではなく、わけてその形ではなく、而もその中に籠《こも》って出て来る物凄い気魄《きはく》のようなものである。そういうものが如何に一番中心であり肝心なものであるかを感じる。どんなに彫刻として完備していても、それがなければ駄目だということが、あの像を見ると解るように思うのである。それがあの彫刻を全く無類に感じさせる。
それはいろいろな意味で純粋な時代
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