らく余程立体的なのであろう。私もそれを盛んに稽古した。それで人間の顔の「にくあい」その他を覚えさせるのである。それが終ると板から離れて丸彫を始める。然し其処までやると丸彫になっても格別のことはなく、ひとりでにやれるようになる。大抵初めは人物より動物の方が面白いから、それを彫らせるのである。以前は布袋《ほてい》とか蝦蟇《がま》仙人などを手本にやったが、美術学校が始まるようになってからは、そんなものは生徒が面白がらないので写生風なものをやるようになっていた。その時分には、木彫の方でも油土で原型を拵えさせ、それを木で彫らせるという風になっていた。
前に述べたように「こなし」を覚えることが骨子だから、荒彫を非常に重要視する。荒彫が本当にとれるようにならぬと、それから先に進めない。進んではいけないということになる。学校では成績をよくする為に、そんな厳重なことはしなかったが、家では、荒彫で本当に形がとれるようになるまでは仕上げはさせなかった。形がとれるようになれば次に「小作り」をやる。部分的な鼻とか口の切れ目とかを大体彫るわけだが、そういう場合でも小作りなら小作りで全体にいつも調子をとってやるの
前へ
次へ
全76ページ中50ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング