ている。少年の頃、私は寝ていてよく笑うので、気味悪がられた。隣りに寝ている祖父が揺起して、ものが憑《つ》くのだからと言って九字を切ったりしたことがある。子供から段々青年になる前の身体の衝動だろうと思うが、うとうとするとおかしくなって、自分でもその声で目が醒めるのだけれど、それが非常に凄く聞えて、周りの人は怖がった。然しそういう雰囲気の中でも一方下らぬ迷信のようなことで、決して家に入れないものがあった。
仲御徒町の時分だが、コックリさんというのが流行って、講中のようになっていて毎晩のように近所の家にその集りがあった。あれは人心動揺する時に始るもののようだが、然し私の家では父も祖父も決してそれを家に入れなかった。そのことは、祖父の偉いところで、そういうものは駄目だと言っていたが、あのような事を家に入れなかった事は、私たちにとって非常によかったと思う。
さくという一番上の姉は、明治廿五年に十六で亡くなった。非常に悧口《りこう》な子だったと家の人達は言っている。家では鳴物を禁じていたけれど、姉を仕込むようになってからは少し位何か出来なければいけないというので長唄を教えはじめたが、姉は一向に
前へ
次へ
全76ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング