りいい悪いということが言えた。祖父も矢張言葉遣いに喧しく、変なことを言うと、「何だ、そんな田舎者のような口を利いてみっともない。」と叱られた。言っていけない言葉の中には、思い上った言葉だの、不心得な言葉が多く、だから一方では良心についての訓戒でもある。言葉遣いがいいということは、内容《なかみ》がいいということでもある。現在でも、私はものを書いたりする場合に、母のそれを思い出したりして、語感の上に非常に役立っているのを感じる。決して使えない言葉がいろいろあって、それが詩など書く時に本能的にひどく働くのだ。使いたくても変えるより仕方のない言葉とか表現の仕方とか沢山あって、それは母に教えられたことなどが本能的に出て来るのだと思う。自分のことから推して、言葉遣いで教えるということは非常にいい方法で、言葉の訓練ということはこれからの人にも大切だと私は思っている。

 子供の時分、私は夜が怖かった。今住んでいるこの家のある辺りは、以前は千駄木林町と言って、寛永寺のお台所の薪用の山であった。昔、鷹匠が住んでいた所で、古い庭園など荒果てて残って居り、あたりは孟宗竹《もうそうちく》の藪《やぶ》や茶畑、桜
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