かり零落し、清島町の裏町に住んで、大道でいろいろな物を売る商売をして病気の父親を養った。紙を細かく折り畳んだ細工でさまざまな形に変化する「文福茶釜」とか「河豚《ふぐ》の水鉄砲」とか、様々工夫をしたものを売った。そんな商売をするには、てきやの仲間に入らなければならぬ。それで香具師《やし》の群に投じ花又組に入った。そのことは、父の「光雲自伝」の中には話すのを避けて飛ばしているが、――そうして祖父は一方の親分になった。祖父は体躯《たいく》は小さかったが、声が莫迦《ばか》に大きく、怒鳴ると皆が慴伏《しょうふく》した。中島兼吉と言い、後に兼松と改めたが、「小兼《ちいかね》さん」と呼ばれていて、小兼さんと言えば浅草では偉いものだったらしい。祖父の弟で甲府に流れて行って親分になった人があるが、これは非常に力持ちの武芸の出来た人で、その弟がついているので祖父の勢力が大変強かった。喧嘩《けんか》というと弟が出て行った。江戸中の顔役が集まって裁きをつけたりしたことがあったと言う。だから私は子供の時分、見世物は何処へ行っても無代《ただ》だった。その時は解らなかったが、後で考えるとそのせいだったらしい。よく兄
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