二で浅草清島町の裏長屋から仏師屋へ奉公に出た。清島町の家は河童橋の通にあった。変な蝮屋《まむしや》のあるような小さな露地を入った九尺二間の長屋のずっと続いている暗い家で、近所|界隈《かいわい》はそういうものばかりのようであった。其処で祖母が父を教育してそだてたのである。
 私の家の先祖については、昔のことは分らない。父の言っていたのを受け継ぐより外ないが、鳥取の士分で、はっきりはしないが文化あたりに江戸に来て町人になった。髯《ひげ》の長兵衛と言われて、父のように髯が濃かったらしい。唯そんなことしか遺っていない。
 祖父は気の毒な人で、子供の時から非常な苦労をした。その父親、つまり私の曾祖父《そうそふ》にあたる人は、嘉永にはならぬ位の徳川末期の時分で、丁度その当時流行した富本節が非常に巧く、美声で評判になったものらしい。それで妬《ねた》まれて水銀を呑まされたとか言うことだ。その為に声は出なくなる、腰は立たなくなる、そのせいかどうかわからないが一種の中風になった。祖父は小さい時からその父親の面倒をみて、お湯へでも何処へでも背負って行ったと言う。商売の方は魚屋のようなものだったらしいが、すっ
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