。その時には私は必ず傍に坐り込んで聞いたものだ。恐らく父の方でも私が傍で聞いているということを意識して話していたこともあったろうと思う。
 父は彫刻について「こなし」ということを大事に言っていた。外国の用語だとコンストラクションというようなことに関係するのであろうが、向うの人の言っている言葉では当嵌《あてはま》らないようである。「こなし」が本当に出来れば、ロダンの謂《い》うプランなども自ら出て来る。プランに相当する彫刻上の考は此方にはない。面《プラン》は向うの人の考であるが、然し「こなし」がはっきりゆけば自ら面が出て来る訳である。父などは「こなし」一本であった。彫刻に駄肉があるということが非常にいけないと言う。駄肉があるということは、まだこなせるということだ、牙彫《げぼり》から木彫に入った人の作には駄肉があって、それがいけないということをよく言っていた。石川光明さんの彫刻でも、私達から見ると、その作風のおっとりした良さは寧《むし》ろその駄肉にあるのだが、父流の考え方では、もっとこなしてみたいのである。象牙彫りは目方で値段が出る。石川先生のように非常にいいものは別であるが、普通のものは目
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