遺憾に思っていた。
 父は、私にいろいろ直接に話をするようなことはなく、お客のある時は私にお茶を持って来させるのである。母も心得ていて客のところへは必ず出されたものだ。私は其処に坐って話をきいていた。父は客と雑談を交しながら、或は半ば私に聞かせる積りのような場合もあったようである。私はよく其処へ呼ばれて行って、迷惑を感じて厭になったこともあるし、聞きながら憤慨を禁じ得なかったことも少くない。彫刻界や美術界の受賞の掛引きなど、なかなか弟子達の間にあって、金賞、銀賞の振合がどうだとか、此度はこれで我慢しておけとか、そしてこの次には何を出そうが金賞になることが前から決っているというような、そんな話が交されたことも屡々《しばしば》である。
 又私は父の仕事振りは始終見ていたが、父から直接弟子に講義をするような態度で教わったということはない。親子では、そういうことは変にテレ臭くて出来ないのである。父は、子供に向って講釈するなどというそんな改ったことは特に出来ないような人であった。他人に義理は立てても子供のことなど構って居られないといった方なのだ。却《かえ》って弟子にはなかなか親切に話をしたりした
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