そこに寄附して、その会に関係のある人が買ったという話だったが、その後平尾賛平さんが買ったという事も聞いたが、どうなったか分らない。「鯰」は房州の方の人が持っている。これは或る綴錦《つづれにしき》を織る人があって、その人が困っているので寄附して、その人のパトロンのような人が買った。尤《もっと》も鯰はあと二三尾彫っていて、その行先は分っている。一つは越後長岡の松木さんという人が持っている。「桃」は長谷川時雨さんが買った。お蚕の時に使う栃の木で刳抜《くりぬ》いた盆にのせると非常によくはまって、丁度お釈迦《しゃか》様の甘茶の時のように中に小さく桃があって面白いと思ってそれに載せて出したが、その盆にヴェルレーヌの詩句を彫ってあったのを面白く思って買われたのか、然し盆は売る積りではなかったから長谷川さんは弱られたらしい。第二回の大調和展に出した「鷽《うそ》」は野口米次郎さんの親類の人が買った。又後に出した「石榴《ざくろ》」は京都の方の好事家が持っている訳だが、此などは後で一寸借りたいと思って面倒な思をした。手放して了えば、自分の作ったものでも自由にならないから、愛着のある作品を人手に渡すのは厭《いや》になる。貧乏の最中だから仕方がなかったけれども、智恵子はそれを惜しがった。「蝉」は大分拵えたが、之も行先が分らないし、「栄螺」も全然分らない。「栄螺」は父から金を貰うので、百円位で買ってくれと言ったら、父は面白いから預っておこうと言ってとってくれた。そしたらある百貨店の美術部の人が父のところに来て、何百円とかで売れたといって父がその金を持って来てくれたことがあった。父は私のものがそんなに高く掛引なしに欲しい人があって売れたということでびっくりして居た。それ迄は私の仕事など「勝手なものを拵えている。」などとよく人に言っていたから、無論値段などありはしないと思っていたのである。
首は可成作ったが、半分以上は父の仕事の下職のようにしてやっていたから、半ば父の意志が入って居り、数は沢山拵えたけれど自分の作には入らない訳だ。私が土で原型を拵えても、それを鋳金にしたり木彫にうつしたりする時に無茶苦茶に毀《こわ》されて了う。法隆寺の佐伯さんの肖像なども父の名で私が原型を拵えたものだが、出来上ったものはまるで元のものとは違う。佐伯さんの顔は丁度お婆さんみたいな柔和な顔でそれでいて非常に強いのであ
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