かさ
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といった有様だった。当時は又短歌もやっていたが

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かの雲をわれは好むと書きをへしボードレールが酔ひざめの顔
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などという歌が出来た。
 一にも二にもお梅さんだから、お梅さんが他の客のところへ長く行っていたりすると、ヤケを起して麦酒壜《ビールびん》をたたきつけたり、卓子ごと二階の窓から往来へおっぽりだした。下に野次馬が黒山になると、窓へ足をかけて「貴様等の上へ飛び降りるぞッ」と呶鳴《どな》ると、見幕に野次馬は散らばったこともある。
 お梅さんが朋輩《ほうばい》と私の家へ押しかけて来た時、智恵子の電報が机の上にあったので怒って帰ったのが最後だった。その頃、私の前に智恵子が出現して、私は急に浄化されたのである。
 お梅さんはある大学生と一緒になり、二年ほどして盲腸で死んだ。谷中の一乗寺にその墓があるが、今でも時々思い出してお詣《まい》りしている。



底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
   1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行

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