ら、已《や》むを得ず昨夜のスケッチを牛太郎に見せると、まあ、若太夫さんでしょう、ということになった。
いわばそれが病みつきというやつで、われながら足繁く通った。お定まり、夫婦約束という惚《ほ》れ具合で、おかみさんになっても字が出来なければ困るでしょう、というので「いろは」から「一筆しめし参らせそろ」を私がお手本に書いて若太夫に習わせるといった具合。
ところが、阿部次郎や木村荘太なんて当時の悪童連が嗅《か》ぎつけて又ゆくという始末で、事態は混乱して来た。殊に荘太なんかかなり通ったらしいが、結局、誰のものにもならなかった。
一年ばかり他所へいってしまって、又吉原へ戻って、年が明いたので、年明けの宴を張った。
阿部次郎が通ったのが判った次第は、彼がやってきて、談|偶々《たまたま》その道に及び「君と僕とは兄弟だぜ」といったことからである。よくあることだが、私にとっては大事件だったわけだ。
若太夫がいなくなってしまうと身辺大に落莫寂寥《らくばくせきりょう》で、私の詩集「道程」の中にある「失はれたるモナ・リザ」が実感だった。モナ・リザはつまり若太夫のことで、詩を読んでくれれば、当時の心境
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